ひとつのコンセプトから、2つの作品が生まれた今回のTOKYO CRAFT ROOMのプロジェクト。香りを作るアーティストの和泉侃さんから、音楽家の江﨑文武さんへとバトンが渡り、ついにその音楽が完成した。当初は人工的ではないサウンドを構想していた江﨑さんが、最終的にたどり着いた音楽とは。そしてようやく完成を迎えた2人のアーティストが揃い、本プロジェクトを振り返る。
かつての日本橋浜町の文化をしのばせた
アンビエント・ミュージック
和泉さんによる香りを初めてかいだ時点で感じた土っぽさから、アナログな手法をイメージしていたという江﨑さん。その後のTOKYO CRAFTO ROOMでの宿泊体験や日本橋浜町のリサーチに彼自身の感性を重ねながらたどり着いたのは、さまざまな音源を織り交ぜたアンビエント・ミュージックだった。
「最初はピアノ曲をイメージしていたのですが、実際にTOKYO CRAFT ROOMに泊まってみて、夜がものすごく静かだということを感じました。僕自身、日本橋浜町エリアの昼夜間人口比みたいなものがすごく好きで、この静かな宿泊体験を邪魔したくないなと思った時に、しっかり“アンビエントをやろう”という気持ちになったんです」

アンビエント・ミュージック、いわゆる「環境音楽」とは、歌詞やメロディに対峙するのではなく空間と一体化するような音楽のジャンルを指す。ゆったりとした美しいピアノの旋律をベースにたゆたい続ける江﨑さんの音楽には水の音や三味線の音がミックスされ、独特の奥行きが感じられる。制作当初のことを振り返りながら、江﨑さんは解説を続ける。
「伝統楽器も取り入れたいと思い日本橋浜町の歴史を調べていくうちに、川上音二郎*の妻の川上貞奴が芸妓をしていた界隈であることを知ったんです。きっと三味線やいろんな楽器を運んでいる人たちがたくさんいたんだろうなと想像し、三味線の音を入れました。でもあからさまにはしたくなかったので、加工でかなりぼかしています。水の音は、ホテルのすぐ近くにある清洲橋で録音された隅田川の音で、アンビエントに溶け合うように少し変調させて使いました。あとはこの2つの音に合うように、自分の中でイメージしたキーでピアノを弾いていきました。実は音階にもしばりをつけていて、ばれないようにそっと“都節音階”*にしているんです。TOKYO CRAFT ROOMに滞在しながら侃くんの香りをかいでいると、明るい気持ちになるというよりかは、落ち着いたり、内省的な気持ちになる印象を受けました。一言でアンビエントといってもいろんな音楽の表現がありますが、今回はどちらかというと瞑想のような、内に向くような音楽を作りました」

*都節(みやこぶし)音階:ミ・ファ・ラ・シ・ドからなる五音音階。箏の調弦や、三味線の旋律に多く使われる。
明治〜昭和中期まで、芸妓の花街として賑わっていた日本橋浜町エリア。和泉さんがこの界隈の土の歴史に想いを馳せたように、江﨑さんは街の文化の断片を音楽にそっとしのばせた。
そして、街の歴史を懐古しながら、ローファイなものに惹かれたことから、その音源をカセットテープに吹き込んだ。TOKYO CRAFT ROOMでは、70年代に発売されたモノラルラジカセを通して江﨑さんの音楽を楽しむことができる。受け取ったインスピレーションを融合させながらそれぞれの解釈も際立つような、唯一無二の「記憶装置」となった。

香りと音楽だからこそ伝えられる
感性の余白とは
TOKYO CRAFT ROOMへの設置直前、完成した音楽をいち早く聴くために和泉さんが江﨑さんのもとに駆けつけ、久しぶりに2人が対面。率直な感想を伝え合った。

和泉(以降I)「すごく透き通っていますね。肌で感じる音楽というか。はやくTOKYO CRAFT ROOMの中で聴いてみたいです。この音楽と香りの2つが合わさって、どういう体験になるのかがすごく楽しみです。包まれているような感じになりそう。それを想像するだけでも嬉しいです」
江﨑(以降E)「TOKYO CRAFT ROOMはホテルの他の部屋とも隔離されていて、周りの人の気配も感じないから、すごく静か。よく眠れるんじゃないかな」

そして改めて2人が本プロジェクトを振り返り、そして目には見えない2つの作品についての互いの想いを語ってくれた。
E「香りに曲をつけるプロジェクトは初めてだったので、すごく楽しかったです。実は香りで雰囲気を変えるというのは、僕自身作曲中によくやることではあったんです。いい匂いの中にいたくて」
I「逆に僕は、香りを作る時に音楽をかけることが多いですね。作る香りによって、ストイックな音楽だったり、ポップスだけをかけたり。やっぱり音楽は空気を変えてくれるんですよね」
E「そうなんですよね。パッと空気が変わるというか、脳の開いてなかった引き出しが開くみたいなことが、音楽にも香りにも通ずる面白いところだなと思います。ビジュアルでの表現ではできないことなのかなと」

I「視覚はものを捉える能力が高い分、”捉えてしまう”ものも多いというか。本当は自分の経験と感性を照らし合わせながら、いろんな解釈ができるはずなのに、情報量が多すぎて余白そのものが狭まってしまうようにも思うんです。だからこそ、どちらも目に見えないものを作る今回のプロジェクトは面白かった。TOKYO CRAFT ROOMの空間の中で、どう機能を果たすのか。宿泊した方にとって壁紙が変わるかのような、新しい体験になったら嬉しいですね」
こうして「香り」と「音楽」という2つの「記憶装置」が、TOKYO CRAFT ROOMに加わった。空間にそっと佇みながら、家具や器、アートといったこれまでのデザイナーと作り手たちが手がけたクラフトを、ひとつにまとめあげる力強い存在。また新しいクラフトの形が、ここに誕生した。ぜひ実際に部屋を訪れ、その美しく静かな時間を体験してほしい。その時に初めて、これまでビジュアルと言葉で紡いできた彼らのストーリーが、本当の意味で完成するのだろう。

Kan Izumi
和泉 侃
香りを通して身体感覚を蘇生させることをテーマに活動するアーティスト。植物の生産・蒸留や原料の研究を行い、五感から吸収したインスピレーションのもとに創作活動に励む。作家活動と並行し、香りを設計するスタジオ「Olfactive Studio Ne」を発足。調香の領域にとらわれないディレクションで、チームと共に香りで表現される世界の可能性を広げている。
https://izumikan.jp/
Ayatake Ezaki
江﨑 文武
音楽家。1992年、福岡市生まれ。 4歳からピアノを、7歳から作曲を学ぶ。WONKでキーボードを務めるほか、King Gnu、Vaundy、米津玄師等、数多くのアーティスト作品にレコーディング、プロデュースで参加。 映画『ホムンクルス』(2021)、ドラマ『黄金の刻〜服部金太郎物語〜』(2024)『完全無罪』(2024)『#真相をお話しします』(2025)をはじめ劇伴音楽も手掛けるほか、文藝春秋『文學界』や西日本新聞文化面での連載、NHK FM『江﨑文武のBorderless Music Dig!』でパーソナリティを務めるなど、様々な領域を自由に横断しながら活動を続ける。芸術教育プログラム『GAKU』では音楽の講義を担当。
https://www.ayatake.co/