8回目となるTOKYO CRAFT ROOMのプロジェクトでは、アーティストの和泉侃さんを迎え「香り」を作る。コロナ禍を経て、世界の日常が一変し見直されてきた中で、においを嗅ぐことは時に人の健康のバロメーターとして、時に人の感情を癒やす道具としてなど、わたしたち人間に大きく作用する行為であることを実感したのではないだろうか。そして今、この部屋のために作るべき香りとは何か? 「感覚の蘇生」をコンセプトに、身体感覚の変化を生み出す作品を探求する和泉さんとともに、リサーチがはじまった。
この部屋で、香りを嗅ぐということ
「初めてこのTOKYO CRAFT ROOMに滞在した時、東京の街の喧騒から隔絶された静けさの中で、本当に”一人の時間を過ごした”という実感がありました。いろんなことを忘れて無になり、それがすごくラグジュアリーないい時間だったんです。HAMACHO HOTELにひとつしかないという、圧倒的な純度を持ったこの部屋のパワーがノイズを遮断していたのかもしれない。東京でこういう時間が過ごせたということが面白かったですね。だから香りを作るなら、それと向き合えるものがいいかなと思ったんです」と、本プロジェクトにおいて香りのコンセプトを組み立てる際に部屋を訪れた時のことを、和泉さんは振り返る。

現在和泉さんの活動は、「香り」を中心として多岐に渡る。淡路島のアトリエ『胚』を拠点に、アーティストとして香りにまつわる素材の収集や研究、作品の制作をおこないながら、彼のディレクションで企業やブランドのお香や香水などのプロダクト製作や、空間における香りデザインをおこなうレーベルも主宰。これまでも数々のホテルのための香りづくりに携わってきた和泉さんだが、今回のプロジェクトで作るのは、ホテルではあるものの全館のためではなく、このTOKYO CRAFT ROOMという一部屋のための香りというユニークピース。彼がこの部屋を訪れて感じた、アーティストとしての感覚を研ぎ澄ましながら、あたらしいアプローチでプロジェクトに取りかかっていった。
和泉さんが日頃の香りの制作において大切にしていることを、改めて見直すきっかけにもなった。
「”嗅ぎに行く”という行為に意味を持たせたかったんです。”嗅ぐ”って実はとても大切なことだと思うから。たとえば、本来動物にとって”においを嗅ぐ”という行為は生存のために必要なことですが、僕ら人間は食べ物ひとつとっても、自らの行為を経ることなく賞味期限などの数値化された情報で判断していることが多いですよね。嗅覚は、脳に伝わるまでの速さが0.2秒以下。人間の五感の中で一番速くて原始的な感覚で、右脳=感情脳に伝える唯一の感覚と言われています。だけど現代の数値化された世界の中で生きることに慣れて、さらには好きなにおいしか嗅がなくなると、直感や本能といった感覚が退化していくと思うんです。だから僕がここで自分と向き合えたように、嗅ぎに行くという行為で香りと向き合い、それが自分のさまざまな感覚を研ぎ澄ますためのトリガーになれたらということを、まずは大切にしたいと思いました。そして東京であること、ホテルの一室であること、数々のクリエイターたちのデザインが並ぶ場所であることといった、TOKYO CRAFT ROOMのさまざまなレイヤーに自然と調和するような香りを目指しています」

こうして和泉さんの香りづくりにおける最初のインスピレーションが生まれた。お香やキャンドルなどのように、そこに香りを漂わせるのではなく、香りという存在を意識して、自ら嗅ぎに行くという所作から感じ取れるものを大切にしたいとう想いをベースに、香りそのものへのリサーチに続く。
東京の植物をとじ込めた、記憶装置のような香りを
「TOKYO CRAFT ROOMで自分と向き合っていくうちに、過去に遡っていきました。それと同時に、この東京という街の見方にも想像を巡らせていったんです。今目の前にある東京の風景には、アスファルトしかない。でもかつては土だっただろうし、もともとあった土もまだあるはず。森があって、植物があって、畦道もあった。そんなふうに、今当たり前にあるものを意識して、疑問を持ってみる。東京の中で東京のことを考えていくことが面白いなと感じたんです。それで”東京の植物”という香りのキーワードが生まれました」

東京の植物をベースにした香りを作ること。そしてその香りをとじ込めるために、和泉さんは「印香」という形状を選択した。「印香(いんこう)」とは煉香(ねりこう)の一種で、粉末にした香料を練り合わせて型に入れて固め、型抜き後に乾燥させたお香のこと。火をつけて焚くことなく置いておくだけで香り、その香りは長年持続する。
「印香は以前一度別のプロジェクトで制作したことがあって、なかなか大変だったのですが、改めて今、この表現方法に興味があったんです。10年経ってもまだ香っているから、香りをとじ込めた”記憶装置”のようなイメージを持っていました。だから今回、土や根などに東京の土地の記憶を持つ植物を練り込んだ印香を作ってみたい。TOKYO CRAFT ROOMは、これまでもデザイナーや作り手たちが実験的なチャレンジをおこなってきた場所でもある。だからこそ、今回僕も取り組んでみようと思いました」
秋のとある日、和泉さんと東京の川の上流圏域へ。周辺に生息する植物と、印香の形の原型となる石のリサーチのためだ。到着するやいなや、和泉さんは次々と植物に触れ、においを嗅ぐ。足早でありながら丁寧に、植物ひとつひとつを、その形状と香りごとインプットしていく。

型の制作は金工作家の宇都宮 檀さんに依頼。彼女の作品に、石に金属をまとわせて形作る「ishiki(イシキ)」という石の器の作品がある。このishikiと同じ手法で、今回は石から銅製の型を作る。何か特別なデザインを施すのではなく、自然物から型を取りたいという意向のもと、植物のそばにある石を選んだ。下流で見る角がとれたきれいなものよりもより原型に近い形を目指して、上流の河原へ出向いたのだった。
「石にはその地の記憶がある。 それに触れる事で、意識は拡がり、無意識の意識が呼び醒まされる様に、私達は本来の姿を思い出す。 石に金属を纏わせるように作られた器はその増幅装置の様だと思い、半ば夢を見て、石の姿を写した器、ishikiを制作している」という、宇都宮さんのishikiへのコンセプトと和泉さんが共鳴。そして彼女はは自身の活動に重ね、今回の石選びについての想いを寄せた。
「今回、東京の記憶を呼び醒すようなお香を作る型として、ishikiを使いたいと依頼をもらい、その地に赴きました。ishikiから石を再現するかの様に作るその香りを、私は想像しました。石の共振と香りから呼び醒されるその地の記憶。 今回初めて丸くなくゴツゴツとした、山の様に見える石を選びました。 想像された雄大な記憶の景色の中に山があったから。 記憶の旅にでる様に、改めて、私は日本人と山の関係に思いを巡らしました」


「花や葉だけでなく、種子や根っこも。根に近い方がよりパワーがあって、東京の記憶をより引き継いでいるんじゃないかと思います。この場所だけではないので、昔から東京にある植物もベースにしながらリサーチを重ねていきます」と和泉さん。
「香り」という、目に見えず手に取れないものだからこそ、その文脈やストーリーを大切に伝えたい。「東京で想う東京」をコンセプトに、嗅ぐという行為から私たちが忘れかけていた事象や感覚を呼び起こすためのプロジェクトがはじまった。浮かび上がった数々のキーワードを、ひとつの香りにとじ込めるために。

Kan Izumi
和泉 侃
香りを通して身体感覚を蘇生させることをテーマに活動するアーティスト。植物の生産・蒸留や原料の研究を行い、五感から吸収したインスピレーションのもとに創作活動に励む。作家活動と並行し、香りを設計するスタジオ「Olfactive Studio Ne」を発足。調香の領域にとらわれないディレクションで、チームと共に香りで表現される世界の可能性を広げている。